2015年03月17日

そう思うと


人それぞれ、自分は何者か、知っているだろう。
オモテの自分、ウラの自分、意識化の自分、無意識の自分・・・
自分がいまだにわからない人は、捜し求め続けていることだろう。

そもそもアイデンティティとは?
自分とは?

自分に向き合ったことは、誰にでもあるだろう。
もし、そんなことをしたことがない人がいたとしたら、とても幸せな人だ。
いい意味でも、悪い意味でも。

私は、今まで、2度、自分って、なんだろう、と、深く思い詰めたことがある。
それは、自分の歩んできた道の岐路に立った時だった。
書物の知恵、知識、力も借りた。
その結果、自分の行く道を選択する決断をした。
自分は、なんだろう? どうしたいのか? どうすべきか?
自分と向き合って、自分の答えを自分から引き出した。

今にきて、3度目の決断の時が、もうじきやって来る。
まあ、まだ時間はあるので、ゆっくり考えればいいのだが。
あるいは、決断せずに、ずるずるとこのまま行く、という新手もある。

しかし、ぼやぼやしていると、期限切れのカタログ・チョイス・ギフトが、
先方の決めた商品に決定されてしまうのと同じように、選択肢がなくなってしまう。
自分で自主的に選択して生きる「能動的生き方」と、
選択肢なく、余儀なく不本意に生きる「受動的生き方」とでは、どちらがいいか?



私は、だれ?
なんのために生きている?
何がしたいの?
どうすべきなのか?

自分の声に耳を澄ますと・・・
実は、今のままが、一番いい。
緩やかな曲線を描きながら、優しく微妙な角度で、爽やかに下降していく、
そして、その先は、ふんわり、ソフト・ランディング。
このまま、一生、今の状況が続けば最高なんだけれど。
そう思うと、一日一日の貴重さを噛みしめ、
大切に、思う存分味わって送らなければ、もったいない。
だらだら無意識に黄金の時間を過ごしてしまうと、後々、後悔しそうだ。
しかし、時が動かないということは、ありえない。
地球が自転している限り、人は年を取り、やがて死ぬ。
愛する人々も、死んでいく。自分も確実に死ぬ。
世界一の傾城の美女も、時の権力者も、例外なく盛者必衰の理を表している。
黄金の時期は、永遠には続かない。

とかなんとか御託を並べて、決断を先延ばしにしているだけ?
自己中心・逆風だらけの、理解者が一人もいない孤独な自由人か、
人の評価が怖い小心者、不満だらけ、自分騙しの自己犠牲か、
あるいは、ミックス・バランス型か?(投信、ファンドも、こういうのがおススメらしい)

どちらも選ばない(選べない)、あるいは、どちらも取り入れる、そういう中庸が無難。
いずれにしても、人は一人では生きられないのだから、
自分だけの我ままを通すには、強い意志や、それに裏打ちされた実践力が、必須だ。
私に、それがあるのか???
覚悟を決めたら、コトが進んで行くに従い、
今まで備わってなかった力も、苦労とともに徐々についていくのか
あるいは、気力だけでは、現実はどうしようもないことを痛感して、挫折するのか。
いずれにしても、らくらく、楽しいだけの人生などない。


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Posted by iooi at 10:34 | Comments(0) | xc
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