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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年03月25日

高熱すぎて

電車内、ねっとり愛の欲望シリーズ、今、始まったばかりの20代後半、社会人カップル。
わぁ~ またぁ~ 
応援したい気持ち半分、ギモジヴァル気分半分。
多分、酔ってるんじゃないかと思うけれど。(でなきゃ、あんなこと、なかなかシラフではできない)
薬やお酒の力でも借りないと、動物的官能モードには(公衆の面前で)なれないような気がする。
といっても、警察のお世話になるような内容とは程遠い。
でも、見ている分には、吐きそう。(ごめんねー。あなたたちには、罪はない。・・・たぶん)
仕方ないかな、地球のパワーを維持するために。
人類、種の保存、頑張ってもらわねばreenex 價錢

目の前、至近距離の本能カップル。ただし、心臓の弱い私も同席している電車内。
応援してるけど、男と女の違い(男性は下半身で感じ、行動する、らしい)
それさえ、わかってれば、お互い誤解はないだろうと。
明るい建設的な未来に向かって、Hang in there!


しかし日本人としては、あまり人前で愛情表現を堂々としない歴史が長かったので、
欧米の方々のように、大胆なラブシーンを繰り広げる姿を見慣れていない。
姿カタチ的に、どうも慣れない、なじまないreenex 效果
今後少しずつ、慣れていくのかも知れないけれど。
その頃、私は完璧に、干からびた干物? それも、悪くない。

お二人とも、高学歴エリート企業人、キャリア、同期、と見た。(完全なる独断と偏見)
まあ、あまり、あれこれ言うのは、野暮なものReenex 好唔好
回りが見えないぐらいの濃厚ヒート・モード、いつまでも、仲良く熱く、燃えてほしいけれど。
薄っぺらペラペラ干物老女には、高熱すぎて、黒こげしそうです。
  


Posted by iooi at 13:07 | Comments(0) | xc

2015年03月24日

人の意見や考えは

友人や仲間は、個々の人生同士、少し距離があり、うまいぐあいに関わると、負担が少なく良い効果を得られる。
が、家族は、濃厚。その分、絆も強い。
配偶者は変えられるが、親子は組み合わせをフレキシブルに変えることは出来ない。
最近は遺伝子検査で、親子でないことが発覚することもあるが、
普通に暮らしていたら、親子ではないのでは?と本気で感じないはず。
なぜ、真剣にDNA疑問を抱くのか? 検査を行うプロセスこそ、正常ではないと感じる。
実際に親子でないことが判明した場合、悪い結果ではあるものの、もやもやは解消されるだろうが、
親子であることが判明した場合、よけい、もやもやが増長して、悩みが深まる一方だと思われる。

・・・

が、あまり血に頼ると、おどろおどろしいことに、なりかねない。
血液は、さらさらのほうが、よい。
(さらさらには、玉ねぎが、いいそうだ)

・・・

なんの話だった生髮方法
あ、そうそう、「いつでも出来る」は、「いつまでも出来ない」の話。
ひとそれぞれという、話。

なんでもかんでも、ひとそれぞれ。
それじゃあ、話にならない。ポエム。

わたしは、めんどくさい場合、ひとAmway呃人それぞれ、という。
反論があった場合、対処するのがめんどくさい。
「で、あなたは、そうなんですね。わたしは、こうなんです。あら、ひとそれぞれですね」
と、追及から逃げている。

人の意見や考えは、たたき台だと思っている。
人の考えに触れたとき、自分は、こう思う、反対、賛成、好感が持てる、好かん・・・などなどと、
自分の考えをまとめるための一種の下準備。
ゼロから考えると、ぴんと来ない場合、人の意見を参考にする。
なので、いろんな意見があって然り。
感銘、影響を受ける場合もある祛斑


エネルギーの少ない人、多い人、ボルテージの低い人、高い人、
いろいろいるので、各自のお好みで調整して、(料理の塩加減と同じ)
それぞれに、やっていけばいい。

ただし、出来る間にやっておかないと、一生、出来ない。  


Posted by iooi at 16:37 | Comments(0) | xc

2015年03月23日

生活信条は

ある人。
一見、ふつう。身なりはキチンとしている。
でも、お金がない。

そういう人でも、しっかり、めいっぱい、趣味を楽しんでおられる。
(これ、失礼な発言?!)

なにもなければ無事一日が過ぎるが、なにか少しでもあると、一日一日の生活にも困るほど、
お金がカツカツにない人がいる迪士尼美語 好唔好
毎日、毎日、綱渡りをしているような生活である。
何事もないことが前提で、何かあったら、そこで、おしまい。暗転。
病気でもしようものなら、たちまちに医療費の捻出ができない。
そういう人は、案外、多いのかも知れない。

いかにもそう見える人なら、街でも見かけたりする。
(あるいは、ほんとうに大変な人は、街には出ないで自宅におられることだろう)

見かけは優雅で、まったく苦しそうでもない人が、意外に、お金がない。このギャップ。

・・・

パリでは、街角の角、角に、物乞いがいた。
若くてキレイなおねえさんだったり、若い健康的な男性だったり、あっけらかんとしていて、悲壮感はなかった。
地下鉄通路には、額を人々が歩き通り過ぎる地面にこすりつけ、土下座をもっとハードにした格好で、身動きせず、
長時間、物乞いする、立派な体格の中年男性もいたHKUE 認可性
あのポーズを持続するのは、けっこう、体力がいると感じた。

お正月にいくつか見たテレビ番組のパリの特集では、どれもこれも、グルメや芸術だった。
パリの乞食、これはあまり報道されているのを見たことがないが、なせなのだろう。

ロシアでは、乞食の地下組織があるそうだ。
乞食スタッフとして動員されるのは、子供、赤ん坊を抱いた母親、四肢にハンディキャップのある人・・・。
実際、サンクトペテルブルグの有名な観光地では、
小学生たちが団体旅行で訪れているところに、車椅子に座った、小学生が入り口で物乞いをしていた。
お互い、同じ年頃。
わたしは、複雑な心境で、どう感じていいのか、戸惑った。
政府や市民団体などは、そういう現状は、見て見ぬふりなのだろうか。

・・・

話をもとにもどそう。

その、一見、キチンとした人。
カツカツではあるが、キチンと計算して毎日の予算を組んでおられる。
年金暮らしと予想されるが、使う金額、使える金額が決まっている。
そういう人が、お金に不自由しない人々と同じ趣味を持ち、接することは、サーカスの綱渡りのような妙技のように見える靜脈曲張手術
お金は不自由であるが、時間と身体は、自由。
お金が自由な人との違いは、お金の面だけだ。(あたりまえ)

あれこもれも、と行動を広げない。
時間はあっても、お金がない。
とすると、行動を厳選することになる。
一番に制限を受けるのは、人付き合い。
声をかけられ、あちこちに参加していては、お金がもたない。

だが、趣味以外では、お金をかけない人付き合いもできる。
スーパーや商業施設で、テーブルと椅子がおかれた空間で、仲間で集まってオシャベリに興じている人々もよく見かける。
近所の仲良しさんが、ふたりでいつまでもベチャベチャしゃべっている姿も目にすることがある。
無料。
公園。無料。

お金をかけなくても、交友はできる。

同じように考える人同士が集まって、同じように楽しむ。
これは、非常にけっこうなことだ。


趣味などの場合、お金がある人も、ない人も、混じっていて、うまい具合にバランスをとって行動しておられるようだ。
お互いの生活パターン、領域に踏み込まないよう、崩さないよう、接点をもつ。
いろんな層の人がいるので、お互いに棲み分けをしながら、共通点である趣味をシェアする。
その場合、絶対に、みじめになったり、傲慢、高飛車になったり、そういうのはご法度。

ただ、共通して言えることは・・・
お金に余裕のない人は、その趣味の分野では実力が上位ランクの人であることが多い。
なので、お金に余裕のある人に対してでも、卑屈になることはまったくない。
もし、お金や社会的背景を持ち出して、優位を保持しようとするなら、趣味仲間には嫌われる。
「あの人、卑怯」と。
実力で勝てないから、お金でごり押ししようとして、浅ましい、と。
カッコ悪くて、みじめ。
そうすると、お金がある側のほうが浅ましくなり、お金に窮している側が、崇高になったりする。
立場、逆転。
気分、すっきり。

地獄の沙汰も金しだい・・・ではない。
お金で優位を確保できる趣味もあるが、わたしは、胡散(うさん)臭さを感じる。
そういう人は、
「趣味(または芸事)というものは、お金と時間をかけなければ大成しない」と言い切っておられる。
確かにそうだが、わたしは、そういう、いかにも上から目線、お金ぷんぷんのニオイは嫌いである。
いけ好かん。
しかも、実力は、たいしたことがない。

優位をお金で買える自分を、自慢したくてしかたないように見える。
そういう人に限って、人と比較したがる。
そして、趣味の世界なのに、
趣味とは関係ない、(聞かれもしないのに)自分の社会背景などをさらりと漏らして(実際、全然、さらり、ではない)
いやみったらしく自慢する。
豊かな商人系の方に多い。
で、自分の嗜好、志向が見えてくる。
あんなの嫌い。

・・・

娘は、清貧を目指すそうだ。
生活信条は、究極のエコをコンセプトに。
これがまた、厳しすぎて、ついていけない。
義母などは、完全に対極の暮らしだろうが、高齢枠の優遇措置でクリアー。
わたしが、もっとも風当たりが強い。
成金嫌いのわたしの影響だとしたら、自らが蒔いた種か?
なにごとも、ほどほどに・・・、と、泣いてすがりたい思いだ。  


Posted by iooi at 17:10 | Comments(0) | xc

2015年03月19日

いま思っても

新聞代を集金に来られた方に、いただいた、このお花。
「植え替えてください」と言われたけれど、一度はスコップを持って庭の土を掘ったものの
取りあえずは室内で、と思い、花器に移した。

「ありがとう」って、すんなりいただいたのは、いいのだけれど、
いったい、どなたからのお花なんだろう優纖美容

集金人さんが、たくさんこういうお花を扱っておられるかなにかで、ご自分のお花を自腹でくださった?
あるいは、新聞販売センターが、年末のお礼、ごあいさつがてらに優纖美容

そのお礼にといっては、おこがましいが、みかんを差し上げればよかった。
(と、いつも後になって思う )

でも、スクーターで、他にも荷物を乗せられていたし、他の家にも一軒一軒回られるだろうから
邪魔になってはいけないと思い、とどまった。


みかんをあれから、また一箱いただいた。(今、うちにあるのは、合計二箱)

少し前に実家の母に、一箱送って、減ってやれやれ・・・と思っていたが、
実家では、義母からも、またみかんが一箱送られてきたらしい。

「別の、とある人にいただいた四国のみかんが、一番おいしい」
と実母は、われわれのみかんを差し置いて、しゃしゃーと言っていたが。

社交辞令というものを知らないひとだ。
(ああ、哀しきわたしのDNA製造元・・・・・正直だけでは、世の中、敵だらけ)


みかん、みかん、みかん・・・

お正月には、こたつを囲んで、こたつの上に、みかん。
冬の風物詩のひとつでもある。
谷内六郎 作品みたいなかんじで、国語の教科書に載っていそうだ。

むかし、幼い頃に、田舎の我が家で、炭火で熱くなっている火鉢の灰の中に、みかんを埋めて、
「埋め蒸し焼きみかん」にして食べていたことがある。
うちだけ?
ひょっとして、うちのなかでも、わたしだけ?

いま思っても、実に、けったいな食べ方だ。
この賞味感覚が、もしいまのわたしの基礎となっているのなら、わたしの味覚感度は、かなりあやしい。
ひとにグルメなものをおススメする自信が、まったくなくなる。


紀伊國屋文左衛門は、タイムリーなみかん供給で巨財をなしたが、
時代も変わり、ライフスタイルも変わり・・・
一般ピープル、しかも、あまりフルーツが大、大好きでもないわたしには、少しのみかんなら歓迎だが
今では二箱に増えたみかんと、どう向き合うかが、この冬の課題になっている。
  


Posted by iooi at 10:49 | Comments(0) | xc

2015年03月18日

頑張るなぁ


なにかわからないが、イラついている。
やることがなくて、虚脱感とか、虚無感とか、そういうものとは無縁。
やることをほったらかして、好き勝手ばかりしているから、イラついている?

自分を内からぶっ壊したい心境だ。
小泉さんが、むかし、自民党を内から壊す、と言っていたけれど。

自分にこびりついているアカ、サビ、古い先入観、固定概念、そういうものを除去し、
それらを内蔵している自分自身を内から改造したい。

自分以外の外的要因については、見て見樓宇按揭ないフリをしよう。
肝心の自分については、見て見ぬフリはできない。
改造するにも、大胆な外科手術は、リスキーだ。
自滅の危機を孕んでいる。
では、漢方でゆっくり、自然治癒力を活かしながら、治療していくとするか。


明日は、地元の選挙が行われる。
ここのところ、街は賑わっている。
というか、ウルサイ、に、近い。
駅前ロータリーには、対立候補の街頭カーがうろうろ、順番を待っている。
夜の11時を過ぎても、電車の駅改札前に立った候補者が、深々とお辞儀を繰り返す。
今も、家の前の街路を候補者名を連呼する団体が通り過ぎた。
ウグイス嬢などではない。
主に男性の、マイクなど一切使用しない、生の声。
しかも、徒歩だ。
頑張るなぁ。
こんな静かな住宅街の奥まった道々にまで、よくまあ、細やかに。
特に、あまり外出しないお年寄りには、効果があるかも。
(でも、加齢で耳が遠くなると、肝心の名前が聞こえにくいかも知れないけれど)

マンパワーは、予想以上の力を発揮する。
しかし、あれがお金で買われたアルバイトの人の仕事だとすると、
ちょっとショックだけれど。
何を信じたらいいのだろう・・・?
信じられるものは、何なんだろう・・・?
自分?
実は自分が、一番信じられない。
  


Posted by iooi at 15:40 | Comments(0) | xc

2015年03月17日

そう思うと


人それぞれ、自分は何者か、知っているだろう。
オモテの自分、ウラの自分、意識化の自分、無意識の自分・・・
自分がいまだにわからない人は、捜し求め続けていることだろう。

そもそもアイデンティティとは?
自分とは?

自分に向き合ったことは、誰にでもあるだろう。
もし、そんなことをしたことがない人がいたとしたら、とても幸せな人だ。
いい意味でも、悪い意味でも。

私は、今まで、2度、自分って、なんだろう、と、深く思い詰めたことがある。
それは、自分の歩んできた道の岐路に立った時だった。
書物の知恵、知識、力も借りた。
その結果、自分の行く道を選択する決断をした。
自分は、なんだろう? どうしたいのか? どうすべきか?
自分と向き合って、自分の答えを自分から引き出した。

今にきて、3度目の決断の時が、もうじきやって来る。
まあ、まだ時間はあるので、ゆっくり考えればいいのだが。
あるいは、決断せずに、ずるずるとこのまま行く、という新手もある。

しかし、ぼやぼやしていると、期限切れのカタログ・チョイス・ギフトが、
先方の決めた商品に決定されてしまうのと同じように、選択肢がなくなってしまう。
自分で自主的に選択して生きる「能動的生き方」と、
選択肢なく、余儀なく不本意に生きる「受動的生き方」とでは、どちらがいいか?



私は、だれ?
なんのために生きている?
何がしたいの?
どうすべきなのか?

自分の声に耳を澄ますと・・・
実は、今のままが、一番いい。
緩やかな曲線を描きながら、優しく微妙な角度で、爽やかに下降していく、
そして、その先は、ふんわり、ソフト・ランディング。
このまま、一生、今の状況が続けば最高なんだけれど。
そう思うと、一日一日の貴重さを噛みしめ、
大切に、思う存分味わって送らなければ、もったいない。
だらだら無意識に黄金の時間を過ごしてしまうと、後々、後悔しそうだ。
しかし、時が動かないということは、ありえない。
地球が自転している限り、人は年を取り、やがて死ぬ。
愛する人々も、死んでいく。自分も確実に死ぬ。
世界一の傾城の美女も、時の権力者も、例外なく盛者必衰の理を表している。
黄金の時期は、永遠には続かない。

とかなんとか御託を並べて、決断を先延ばしにしているだけ?
自己中心・逆風だらけの、理解者が一人もいない孤独な自由人か、
人の評価が怖い小心者、不満だらけ、自分騙しの自己犠牲か、
あるいは、ミックス・バランス型か?(投信、ファンドも、こういうのがおススメらしい)

どちらも選ばない(選べない)、あるいは、どちらも取り入れる、そういう中庸が無難。
いずれにしても、人は一人では生きられないのだから、
自分だけの我ままを通すには、強い意志や、それに裏打ちされた実践力が、必須だ。
私に、それがあるのか???
覚悟を決めたら、コトが進んで行くに従い、
今まで備わってなかった力も、苦労とともに徐々についていくのか
あるいは、気力だけでは、現実はどうしようもないことを痛感して、挫折するのか。
いずれにしても、らくらく、楽しいだけの人生などない。  


Posted by iooi at 10:34 | Comments(0) | xc

2015年03月16日

こころの秘密は

昨日の弾丸投稿(ブログ更新アップ)に、気をよくした、わたし。

本日も、できるか驗窗

編集画面に入って、文字入力から画像をくっつけて、アップまで、30分以内。
今日は、パソコン電源オフまで、あと20分しかない。

別のブログを開設しようかと、やりかけたが、一時ストップ。

なぜかというと、お気に入りのひとつの、あるブログに、メンバー限定記事があり、
そのブロガーさんに認定してもらわないと、続きが読めない。
認定してもらうためには、そこの大手ブログ会員になる必要があって・・・
会員になると、同時にブログ開設がオマケについてきて・・・

あれこれ手続きに取り掛かっていたが、途中で史雲遜 收費
自分のブログにとりあえず、弾丸アップ挑戦しなくては、と、戻ってきた。

各、大手ブログサイトは、人気ブログをエサに(→言い方、悪い)、いえ、目玉に、
他のブログサイトからブログを引越しさせようと企んでいる?

今週は、やらなければいけない重大なことがあるのに、別のブログ開設などしていたら、
また、パソコンにへばり付いて、そっちの用事が出来なくなる恐れ、大。

第一、中途半端に、あっちこっち、つまらないブログを開設して、世間にゴミを増やすだけ。

でも、ちょっと、ここでは言えないことを、思いっきり言いたくて、ウズウズすることもあるのは、確か。
前にもそういうことをこのブログで書いたことがあるが、結論は先送りとなっていた。

ある分野に特化したことだけに絞り込んで、吐露できたら、
気分すっきり・・・する、と・・・たぶん、思うんだけれど、どうだろう・・・

こころの秘密は、公表すると、心臓によくないように思う。
たとえ、どこの誰だかわからないからといって。
それがイヤなら公表しなければいいわけだが史雲遜 收費
じゃあ小説でも書いて、自己満足に浸っているほうがいいかも知れない。

小説なんぞ、自分にとってはどうも気持ち悪すぎて、書きそうもないけれど。

いえ、書けそうもない。フィクション分野、あんまり好きじゃないし。



あ、弾丸タイム終了。

本日は、未完の時間切れとなり、消化不良です。  


Posted by iooi at 15:14 | Comments(0) | xc

2015年03月13日

出る杭は打たれる


今日もソプラノ歌手。
お隣からの歌声。
あれは、お隣の奥さんではない、という、根拠&確証のない確信みたいなものが湧いてきた。
あんなプロみたいな歌が、隣の奥さんに歌えるはずかない。
奥さんの顔を思い浮かべながら、ただ、そう思っただけだ。
(悪い意味ではない。ただ、ソプラノ歌手と、タイプが、ちょっと違う。
逆の立場であっても、お隣の奥さんは、わたしが絶対にソプラノ歌手ではないと思うだろう)


今日は、台風なんてデマではないかと思われるぐらいの快晴。
暑すぎる。
こんなに暑いのに、なにを思ってか、スイカを食べた後に(こちらは、季節感、正解)、ホットコーヒーを飲んだら、
汗が、だらだら、だくだくだく。

もう、残りの人生のほうが明らかに短いので、エアコンをつけることにした。
我慢しないことにした。

それにしても、暑すぎる。

・・・

とある、別SNSで、わたしは時々、日記を書く。
ひとさまの日記にコメントも寄せる。
そこで、ある人の日記に、なにげなくいつものように感想を書いたら、
なんと、「作家のような○○さんにお褒めいただいて嬉しいです」とコメント返しがあった。
これは、皮肉か???

わたしは、とっさにそう思った。
わたしが、斜めに構えすぎているからだろうか。

いい年して、みなさん、キャピキャピやっておられるのを、なかばヤッカミ半分に見ている、わたし。
クールである。
いや、温度上昇できない、欠陥品。
なかには、ほんとうに、「あなた、何歳?」みたいな人がいて、のけぞる。
その人物A女史に関して感じることを書いたら、自分でも自己嫌悪を感じるぐらい、わたしは嫌いなのだが。

ご自分でのご自慢は、声が甘いことだそうだが、いやはや、隣で聞いていると、うんざり、砂糖がききすぎ、
甘ったるすぎて、声もさることながら、そのノリに問題がある。
話されるその内容が、自己陶酔ヒロイン物語すぎて、わたしにとっては、耳障りこのうえない。

Dカップもご自慢らしいけれど、50歳を過ぎて自慢できるDカップの内容が知りたい。
叶姉妹は、もっと大きいかも知れないが、
あれは、人造怪物、人工怪獣なので、この際、比較、参考の対象にはならない。
ある程度、大きな胸は、若くても、物理的に「ニュートンの法則」に悩まされる。
ぜんぜん落下しない、ぱちぱちに水平に張った胸は、赤ちゃんに母乳をあげている時期、そういう形状になることがある。

が、ぴちぴちの最盛期は別として、50を過ぎて、「(ぴちぴちが維持できている)Dカップの胸」とやらいうもの、
その実態を知りたい。

人に自慢できるぐらいなんだから、そうとう美形であるに違いない。
50歳を超えた美形のDカップの胸、ぜひ、アップしていただきたいものである。

なかには、同じく50を超えて、
ご自分のミニスカート姿や、胸の谷間の写真を堂々とアップされている女性がおられる。
どう考えても私には理解できない。
世の中には、いろんな方がおられるということだ。
美の基準というものは、人によってこんなに違うものかと思い知らされる。

わたしにとっての美は、引退する前後、結婚時のグレース・ケリー。
ローマの休日の頃のオードリー・ヘップバーン。
若き日のマリリン・モンロー、カトリーヌ・ドヌーブ。
日本人なら・・・? 
大昔の、今とはまるで別人、天と地がひっくり返っても同一人物とは思えない、浅丘ルリ子。
名も知らぬ無名人では、
20年ぐらい?前、昔の富士銀行・淀屋橋支店の窓口右から二番目にいた30歳ぐらいの女性。
あっけにとられるぐらい、美しかった。

少なくとも、ご自分をアピールしまくっておられる、わたしの大の苦手のA女史は、
わたしの目から見ると、なんであんなに自信をもっておられるのか、さっぱりわからない。

性格や頭脳、能力なら、見た目では判断つきにくいが、「見た目」評価をアピールされているA女史、
その基準は、ユニバーサル基準? 宇宙基準?
おそらく、彼女の中の小宇宙基準なのだろう。

わたしのように、人のことをボロカスにけなす、けしからん人間が世の中はウヨウヨいるので、
なるべく、そういう人の目につきにくいように、
ひっそり、こっそり、自己顕示欲を満たされるとよいのではないだろうか。
(自己顕示欲と、ひっそりこっそりは、相反するから同時には難しいが。
だが、愉快犯のような犯罪は許されない)

わたしは、A女史のことが、不細工だとは言っていない。
ただ、ご自分で自慢されている内容と、実際のお姿との間にある、
私が感じるギャップに、わたしは言いようの無いストレスを感じる。
なので、この世で一番、あるいは、古今東西、一の絶世の美女であっても、自薦は避けたほうが無難かと思われる。

出る杭は打たれる。叩かれるのである。
しかも、自己申告の出る杭。
実際は出てないのに、「出ている」と自己アピール。
これは、非常にわたしは、他人事ながら赤面する。
わたしにとっては、もっとも恥ずかしいことである。

単なる、感性、価値観、性格の違いである。
皆、それぞれが、それぞれに正しい。  


Posted by iooi at 12:19 | Comments(0) | xc

2015年03月12日

信じちゃいけない

絵描きから筆を奪い、
写真家からカメラを奪う。
小説家から、ペンを奪う。

あはは。
笑って逃げてしまえ。

僕は、権力に潰された。
笑いだけではすまないbotox瘦面

表現の自由を奪われた。
その場の問題だけで済まない。

関連する全ての事を制限された。
納得しなければ、殴られる。

無勢に多勢。
囲まれて。
張りつけられ、

おまえがやった、おまえがやった。
おまえがやったんだよPretty renew 雅蘭

これに、私がやりましたって書くんだよ。
おまえは、もう、愛だの恋だの、
書いちゃいけねぇんだ。
ふざけんな!
なんだ、その態度は。
わかってんのか!
怒号。

パキシルが無ければ生きれない僕。
病院に行く日しか、スケジュールが
つけられない。

僕は、電車に乗りながら、
何度も、真昼の海にトリップ。
パキシル切れの副作用。
判るまい。

何度も線路に身体が向かうんだよ。
普段の高中數學補習生活に支障じゃなくて、
人生に支障がでる。

過去の真実は、後の嘘になる。
信じちゃいけない。
訂正記事はでないから、
僕は、ずっと、馬鹿みたいに盲信する。

婚約者と別れた、あの日。
2008年9月。
僕は、地獄に行くことを覚悟した。
大事なところで、いつも選択を誤るねって。
遠い日の彼女に言われた。

あはは。

騙されて生きる。
どうせなら、一生、騙されたい。

さぁ、みなさん、笑い逃げの時間です。
  


Posted by iooi at 15:17 | Comments(0) | xc

2015年03月11日

飾りみたいに

集まったのは、主役のN氏ご夫妻のほかに、男性3名と2夫妻、全員で9名。
ホテルオークラ神戸のメインダイニングで、フルコースディナー。
同ホテルに宿泊した翌日は、有馬でゴルフだ。
そのメンバーの中で、Y氏の奥様は、ドタキャン。
Y夫人とご主人は同業だが、奥様のほうが、実によく働き、ご主人より評判が良い。
収入も多いかもhifu超聲波拉皮
ドタキャンしても、強いものである。

ディナーのときに、お祝いのシャンパンと、ケーキをお二人にプレゼントした。
赤ワインは、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴に出されたものと同じワインだとか。
白ワインは、すっきり味でよかったけれど、赤ワインはキツめで少し飲みにくかった。


ご結婚されたN氏は、ここ何年か、前の奥様のおられるご自宅には
あまり帰ってないということは、人づてに聞こえていた貓糧牌子
離婚したのかも?という噂もあったが、本人は、だんまり。
N氏は「お休みは、家に帰らず、映画を見ている」ということらしく、
以前、誰かが、ご本人にさらっと話を投げたところ、
「そういう過ごし方も、いいものですよ」
とおっしゃるにとどまっていた。

ふ~ん・・・
ひとりで寂しく、ではなく、素敵なお相手と映画を見ていたのか・・・と、納得した。
N氏は、当然再婚、奥様は、どうなのだろう?
離婚の原因は、今の奥様なのか???
説明、一切なし膠原自生
「知り合われたキッカケは、何ですか?」
の問いに、「ある会です」と、お答えになったに過ぎず、
そんなんでは、わからんやろー、
つまり言いたくないわけね・・・と感じた。
一応はお披露目はするけれど、そのへんの事情は、カット。
まあ、芸能人ではないのだし、根掘り葉掘り聞きくのも大人気ないし、
第一、本人がしゃべりたくないのなら、しかたない。
N氏の社会的な立場もあるし、入籍した事実だけを公にしたかったのだろうが、
しっくりいかない気持ちでいっぱいだった。

初めてお目にかかる奥様、いったいどんな方だろう・・・と思っていが
ほんのわずかの会話からわかったことは、
奥様は、今、平日のゴルフレッスンを受けておられるということぐらい。
そこから推測できるのは、仕事のお休みが平日なのか、
あるいは仕事をフルタイムではしていないのか、
それとも専業主婦なのか、特定できず。
それぐらいだ。
ダンナ様であるN氏も、もう少し、奥様を会話に入れてあげたらいいのに、
奥様に対する思いやりがない、気の利かない人だと感じて、私はシラけた。

彼らの集まりは、いつもそう。
夫人同伴であろうが、わざわざ新妻を家から、飲んでいる場に呼び寄せようが、
飾りみたいに、見世物として置いておくだけで、決して会話には入れない。
初めてお会いする夫の仕事関係の方々を相手に、堂々とべらべらしゃべれる夫人は、そういない。
政治家の夫人なら、また別だろうが。

日本人男性たちは、夫人同伴のときの、夫人に対する扱い方がぞんざいで、
いかにも夫の付属物みたいに感じられて、いつも私は、大いに気を悪くしている。
夫人の方も、ここぞと、夫が困るぐらい、平気でへんな発言をされたら良いのでは?

私が、いい例。いや、悪い例?
ニュースや話題について、ちょこっと一言話すが、いつもなにかを間違えている。
でも、緊張が緩んで、和んでいるときもある・・・→むりやり自己擁護
シャンペンとワイン、脂分の多い西洋料理の数々で、
コース最後あたりには、私は気分が悪くなった。
部屋に戻って、目を白黒させながら胃袋からもどしたら、やっと落ち着いた。
豪華料理をたっぷり食べると、いつもこうなる。
油を十分に分解できないらしく、身体に合わないようだ。
私って、ほんとにチープな体質なんだと、またまた再認識した。
  


Posted by iooi at 16:20 | Comments(0) | xc