2015年04月23日
米子さんは
ジュニアが明日、メリーランド州タコマパークに行く。
その地名を聞いた時私は、懐かしく切ない気持ちで
胸をギュっと締め付けられた。
タコマパークといえばMIOGGI價錢、
私が24年前に暮らしていた町だ。
そこは、ワシントンDC郊外のベッドタウンで、
メトロの駅の周辺には、味のあるかわいい店も並んでいた。
駅前のこじゃれたショップ街を過ぎCleen、
一戸建てのお屋敷が並ぶ閑静な住宅街を過ぎると、
黒人やラテン系の人々が住む、レンガのアパート街に出る。
ワシントンDC内の黒人街ほど治安は悪くないが、
明らかに低収入地域であることがわかる。
そんなレンガ建てアパートのひとつに、私は暮らしていた。
安アパートのワンベッドルームだったが、
とてもゆったりした広い部屋だった中醫。
長女サシャがお腹にいる頃そのアパートに引っ越し、
彼女が1歳のバースデーを迎えるまでそこで暮らした。
タコマパークは、私がバイトしていた日本食レストランのウエイトレス、
沖縄出身の米子さんが住んでいた町でもあった。
実はその米子さんの紹介で、私はワシントンDCの都心のワンルームから
タコマパークの広いアパートに引っ越すことになったのだった。
レストランの先輩ウエイトレスとして知り合ったばかりの米子さんには
ちょっとぶっきらぼうな人だなあと言う印象を持ったが、
毎週一緒に仕事をするうちに、私は彼女が大好きになった。
私の母と同じ名前の米子さんは、母と同じように気が強くて
アメリカ人のお客さんに食ってかかるようなこともあったが、
とてもサバサバした性格で、人の悪口やゴシップは言わなかった。
酔っぱらうと米子さんは、沖縄出身のシェフと一緒に
いきなりウチナーグチで話し始めるので
私には何を言ってるのかサッパリわからなかったが
面倒見の良い米子さんは、私を妹のようにかわいがってくれた。
米子さんは、沖縄で知り合った米国軍人と結婚してアメリカに来た。
ふたりの中高校生の娘さんとご主人との4人暮らしだったが
ご主人は酷い糖尿病に罹り、私が知り合った頃には
確かもう仕事もしていなかったと思う。
だから米子さんが一家の大黒柱で、生活は決して楽ではなかったはずだ。
その地名を聞いた時私は、懐かしく切ない気持ちで
胸をギュっと締め付けられた。
タコマパークといえばMIOGGI價錢、
私が24年前に暮らしていた町だ。
そこは、ワシントンDC郊外のベッドタウンで、
メトロの駅の周辺には、味のあるかわいい店も並んでいた。
駅前のこじゃれたショップ街を過ぎCleen、
一戸建てのお屋敷が並ぶ閑静な住宅街を過ぎると、
黒人やラテン系の人々が住む、レンガのアパート街に出る。
ワシントンDC内の黒人街ほど治安は悪くないが、
明らかに低収入地域であることがわかる。
そんなレンガ建てアパートのひとつに、私は暮らしていた。
安アパートのワンベッドルームだったが、
とてもゆったりした広い部屋だった中醫。
長女サシャがお腹にいる頃そのアパートに引っ越し、
彼女が1歳のバースデーを迎えるまでそこで暮らした。
タコマパークは、私がバイトしていた日本食レストランのウエイトレス、
沖縄出身の米子さんが住んでいた町でもあった。
実はその米子さんの紹介で、私はワシントンDCの都心のワンルームから
タコマパークの広いアパートに引っ越すことになったのだった。
レストランの先輩ウエイトレスとして知り合ったばかりの米子さんには
ちょっとぶっきらぼうな人だなあと言う印象を持ったが、
毎週一緒に仕事をするうちに、私は彼女が大好きになった。
私の母と同じ名前の米子さんは、母と同じように気が強くて
アメリカ人のお客さんに食ってかかるようなこともあったが、
とてもサバサバした性格で、人の悪口やゴシップは言わなかった。
酔っぱらうと米子さんは、沖縄出身のシェフと一緒に
いきなりウチナーグチで話し始めるので
私には何を言ってるのかサッパリわからなかったが
面倒見の良い米子さんは、私を妹のようにかわいがってくれた。
米子さんは、沖縄で知り合った米国軍人と結婚してアメリカに来た。
ふたりの中高校生の娘さんとご主人との4人暮らしだったが
ご主人は酷い糖尿病に罹り、私が知り合った頃には
確かもう仕事もしていなかったと思う。
だから米子さんが一家の大黒柱で、生活は決して楽ではなかったはずだ。
Posted by iooi at 15:26 | Comments(0) | pad