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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年03月19日

いま思っても

新聞代を集金に来られた方に、いただいた、このお花。
「植え替えてください」と言われたけれど、一度はスコップを持って庭の土を掘ったものの
取りあえずは室内で、と思い、花器に移した。

「ありがとう」って、すんなりいただいたのは、いいのだけれど、
いったい、どなたからのお花なんだろう優纖美容

集金人さんが、たくさんこういうお花を扱っておられるかなにかで、ご自分のお花を自腹でくださった?
あるいは、新聞販売センターが、年末のお礼、ごあいさつがてらに優纖美容

そのお礼にといっては、おこがましいが、みかんを差し上げればよかった。
(と、いつも後になって思う )

でも、スクーターで、他にも荷物を乗せられていたし、他の家にも一軒一軒回られるだろうから
邪魔になってはいけないと思い、とどまった。


みかんをあれから、また一箱いただいた。(今、うちにあるのは、合計二箱)

少し前に実家の母に、一箱送って、減ってやれやれ・・・と思っていたが、
実家では、義母からも、またみかんが一箱送られてきたらしい。

「別の、とある人にいただいた四国のみかんが、一番おいしい」
と実母は、われわれのみかんを差し置いて、しゃしゃーと言っていたが。

社交辞令というものを知らないひとだ。
(ああ、哀しきわたしのDNA製造元・・・・・正直だけでは、世の中、敵だらけ)


みかん、みかん、みかん・・・

お正月には、こたつを囲んで、こたつの上に、みかん。
冬の風物詩のひとつでもある。
谷内六郎 作品みたいなかんじで、国語の教科書に載っていそうだ。

むかし、幼い頃に、田舎の我が家で、炭火で熱くなっている火鉢の灰の中に、みかんを埋めて、
「埋め蒸し焼きみかん」にして食べていたことがある。
うちだけ?
ひょっとして、うちのなかでも、わたしだけ?

いま思っても、実に、けったいな食べ方だ。
この賞味感覚が、もしいまのわたしの基礎となっているのなら、わたしの味覚感度は、かなりあやしい。
ひとにグルメなものをおススメする自信が、まったくなくなる。


紀伊國屋文左衛門は、タイムリーなみかん供給で巨財をなしたが、
時代も変わり、ライフスタイルも変わり・・・
一般ピープル、しかも、あまりフルーツが大、大好きでもないわたしには、少しのみかんなら歓迎だが
今では二箱に増えたみかんと、どう向き合うかが、この冬の課題になっている。
  


Posted by iooi at 10:49 | Comments(0) | xc