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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年03月26日

性格のタイプが大嫌い

胸につかえる、マイナスの想いが、・・・むらむら、むかむか。
こういうときは、吐くと、すっとする。
(脂物の食べ過ぎのときは、いつもそうしている)

ここで、お願いです。
すみません。読まないでください。
スキップ、プリーズ。

・・・

とある別SNSで、嫌いなタイプの人がいる。
とても嫌いで嫌いで仕方ない。
なにも私に害を与えるわけではないのだが、
その人の日記や、おっしゃっていること、すべてがカンにさわる。

じゃあ、見なければいい。
でも、見てしまうMFGM 乳脂球膜
怖いもの見たさ?

なにが嫌いかというと、
お上品ぶって、女性らしさアピールを意欲的にしようとして、言葉の表現、用法が間違っていること。
お上品用語の多用、乱用。ご自分では、それが素敵だと思っておられる。
気持ち悪いほど、自己陶酔型。
ご自分中心型の安演劇。劇場一人芝居型。
ご自分の人生にうっとり。
性格のタイプが大嫌い鑽石能量水 消委會
その人の仲の良い友達も、その人に似たタイプの粘着質タイプ。

その人が自己表現する、趣味への取り組み、想い、
家庭での立ち位置や、ご家族のタイプも、生活のタイプも、どれもこれも、大嫌い。
その人、そのものが嫌い。

・・・

などと書いても、まったく、すっきりしない。
嫌いで嫌いで仕方ない。
接点、ゼロ紐崔萊產品

人のことは言えないけれど。
悪口を書いたら、すっきりしたか?
否。
よけいに自己嫌悪を感じただけ。

読んだ人は、気分が悪いはず。
(でも、最初に「読まないでください」と、警告、お断りした)
どうせ、やさぐれブログ。
自暴自棄感は、ぬぐいきれない。
この記事も、無断転載されるのだろうか?  


Posted by iooi at 17:14 | Comments(0) | xc

2015年03月26日

失ってみないと


趣味について。

義父(故人)が現役時代、とても細かいレース編みに凝っていた時期があった。
わたしは、今もココ、真横にあるパソコンの上に、義父の作品を無造作に掛けている。
ものすごく目が細かく、狂いも歪みもない、結構、大きなサイズ。買えばお高そう。
義父は、とても几帳面な性格の人だった。(わたしとは真逆)
庭の草引きは、愛用のピンセットを使って一本一本、根っこから丁寧に抜き、
リタイアする、うんと前から、休日は、朝から晩まで、じっと座って一日中、草を引いていた。
盆栽や、花木も趣味だった。

手先を使う趣味は、わたしは、すべてダメ。
ぶ厚い大きなグローブをつけて、作業しているかんじだ。
針に糸を通すのも、面倒。
今、愛用している裁縫箱は、保険屋さんにもらったキティちゃんの3段引き出し式BOX。
少食向き・お弁当箱ぐらいの大きさ。プラスチック製で、引き出しは透明。ケースみたいなかんじ。
ミニミニサイズで、はさみも、ちいさい握りバサミが、ちょこんと入っている。
裁縫系は、まるでダメ。不器用。
せいぜい、ボタン付けと、繕いもの程度。

小学校の高学年だったか、夏休みの自由課題かなにかの作品で作ったパジャマは、ひどかった。
布選びからしても、終わっていた。
そもそもパジャマ用ではない生地を平然と平気で選んでいた。
色柄に至っては、あれは、いったいなに?
型紙など、当然なし。参考にするものも、まるでなし。
デザインもアタマで漠然と適当にイメージしたものを、本当に場当たり的に縫っていた。
波打つ曲線を出すための、フリルの間隔やら細かさ、詰まりようなんて、糸を、いい加減に、ぎゅっとしぼるだけ。

他の子たちは、お母さんの手が明らかに加わっていると思われる作品だった。
わたしの場合は、過保護の反対、つまり、放任もいいとこなので、
母は、子供がどんな不細工な、無様な、恥ずかしい作品を作り、
しかも、それを休み明けの課題作品展で全校生の前で恥をさらされようが、
まったく知らなかった。
(忙しくて、眼中になかった)

昔から、子供時代から、厚顔無恥なわたしだったが、
さすがにあのパジャマは、子供ながらに、作品展で並べられていた、あの、変わった奇妙なパジャマには、
恥ずかしい思いをした記憶が、ぼんやりある。

(実家には、わたしが中学時代に毛糸で編んだ壁掛けが、まだ置いてある。
早く捨てて、って、思うけれど、まあ、人の家だし、好きにすればいいと思っている)

今まで、ひとつのことに、夢中になった経験は、あまりなく、熱くなっているのは今、現在ぐらいだろうか。

わたしは、小学生の頃から日記や小遣い帳はつけていた。
それが今に至り、カタチを変え、ブログになっている。
同じく小学生のとき、ロマンチックなドレスに憧れて、親にせがんで始めたバレエは、
発表会の期待はずれなドレスに、肩を落とし、それっきり。
子供がまだ小さかった頃に、少し英語に夢中になった時期もあったが、
脳細胞がカチンコチンで、新しいことが覚えられないことがわかり、挫折。

脳トレ系は、まったくダメ。
多大な膨大な時間をかけても、まるで、1ミリたりとも、進まない。
岩石のような、頑丈で硬い外部に囲まれた脳は、トレーニングを許してくれない。
岩窟王、頑固な脳。
カッキーンと、ピッケルを跳ね除ける。

一時期、仕事に、燃えていたこともあった。
子育てに燃えていた頃もあった。
それは、楽しくて、燃えていたのではなく、鬼の形相、気迫で頑張っていた。
(実際の顔は、にたにたしていると思うが・・・)

作品として残るものがあまりないので、助かっている。
(脳にも残っていない・・・)

作品として残っているのは、「子供という生き物」かも知れない。
なにもなかった無の状態から、意識できないけれど、生命がお腹に宿り、
やがて胎内で大きくなって、この世に誕生。
その10ヶ月間だけでも、貴重な作品づくりの期間だ。
フィジカルな固体、人間をこの世に送り出す、大切なモノづくり時間だ。

あとは、子供が手を離れるまで、(どの時点で手を離れるのか、個人差はあるだろう)
作品づくりの後半だ。
お腹の中が、ベースのベース。
DNAと環境に左右される部分は大きい。

今となれば、そんなこともあったっけ・・???というぐらい、遠い目。
が、子育ては、大きな作業だ。
愛情とサポートがないと、たいへんだろうと思う。


と、趣味の話から、脱線している・・・

身体がいうことをきかなくなっても、長く続けられる趣味と、身体が動く時の趣味は違う。
今しかできないことと、状況が変わっても続けられること、
両方、やっているのが、一番いいけれど、
なんだかアタマで計算して、計画して趣味を、というのはねえ・・・
計画停電みたいなかんじ? (ちょっと違う?)
だが、没頭するとか、そういう熱い状態になるには、キッカケは関係ないかもしれない。

ご夫婦で社交ダンスをされている人は、いいなあと思う。
一度、身に付いたものは、片方が亡くなっても、片割れだけでも続けられる。
ただ、片方が亡くならないで、しかしダンスができない状態の期間が、辛い。
そう思うと、わたしは、結婚当初から、はじめっからペアで動いていないので、気楽だ。

いなくなれば、寂しいだろうけれど、
わたしの母も義母も、「夫が亡くなってから、その、よさ、偉大さがわかった」と言っている。
傍目で見ていると、喪失感と、同時に、開放感も結構あったと思うけど。(義母は特に)
ただ、男たちは、家事は、すべて妻に任せるくせに、重要なことは全部、自分で仕切っていたので、
先に自分が亡くなることを想定しせず、前々からいろんな引きつぎ事項を妻たちに教えてなかった。
あとに、なって、「おとうさんが、いないから、わからないわあ」と、無知を露呈し、
周囲にもなめられる事態にも発展する。

妻が先に亡くなると、家事をしてこなかった夫は、あとで、自分だけでなく、周りも巻き込んで迷惑をかける。
今から夫に家事を仕込んでおくのは、「あなたのタメだから」である。
(お金があれば、ある程度の解決はつくが)


失ってみないと、よさがわからないことは、とてもたくさんある。
当たり前と思っていたことが、当たり前ではなかった。
気づいたときは、もう遅い。
日々、感謝。
感謝しないといけませんね。(と、自分に言い聞かせる)

趣味のブログも、今日も更新できて、感謝、感謝。
そういう状態、状況が保てることに、感謝。


さて、ぶらさがっている用事を目の前に、ちょっと気合を入れて頑張りますかあ。  


Posted by iooi at 12:08 | Comments(0) | xc