2015年02月27日
しゃかりきになって
わたしは、物欲、ありまくり、だ。
この強欲に振り回されて、幸せを棒に振っている感がある。
モノ、モノ、モノ、モノ・・・断捨離できないで、モノに囲まれている。
この、わたし以外の人物には、たんなるゴミ以外のなにものでもない、ゴミが、山とあるのに、
まだ性懲りもなく、ゴミ予備軍を買い込もうとする。
(あるいは、断ればいいものを、くれるというものは頂いてしまう)
人間は、愚かな生き物だということを、身をもって証明している。
しかしながら・・・
わたしは、人生の終盤戦を迎えようとしているにもかかわらず、(正確にいうと、人生の「後半」)
最近は、モノ以外のものにも、目覚めた。
グルメには、さほど、こころを動かされないが、今しかできないことを、今、しようとする。
たとえば、自分に対する投資。
若い人の「ケイコとマナブ」じゃあるまいし、なにを今さら、・・・・
今後、発表するわけでもないし、仕事で頂点に向かうわけでもないし、
具体的なカタチとしての目標があるわけでもないのに、
今、やっておかないと、今後、いつ、できなくなるかも知れないと、へんな焦燥感に駆られ、
自分への投資に励もうとしている。
これは、ご褒美のように、わぁうれしい、と、自分を喜ばせたり、楽しんだり、レジャーとかではない分野だ。
向上心。
だが、評価のない、ジャッジを下されない、自己満足の世界。
程度や力の差こそあれ、登山家やマラソンランナーの感覚の分野か?
それには、お金がかかるとすると、家族や、他人から見ると、ほんとうに、無駄使いである。
でも、健康を害したり、家庭などのいろんな事情で、ある日、とつぜん、できなくなることは、大いに考えられる。
一寸先は、闇。
なので、出来る間に、やっておこう、と、昨日、乗り換えホームで、電車を待ちながら、ふと考えた。
そして、自分のあの、ゴミの山も、どうにかしないといけない、と思った。
身辺整理、しようかな、と。
モノの整理は、こころの整理でもある。
いつ、自分は、どうなるかもわからない。
なので、今しかできないことをする、と、同時に、自分が居なくなった後のことを想像した。
連続ドラマの続きが、毎日、安心して見ることができる、そういう保証はない。
毎日、毎日、その日で、終わってしまうかも知れない。
今日で、見納め、仕納め、かも知れない。
だとすると、精一杯、やっておかないと。
と、思うと同時に、なにも考えないまま、
明日もドラマが放映されると信じて、そのまま、知らないうちに、人生を終えるのも、ある意味、幸せかも知れない。
しゃかりきになって、悲壮感漂わせて、頑張るのではなく、
自然体でいたいものだが・・・そうは、思い通り、カンタンにはいかない。
明日から写経でもしようかな・・・。
(今日からではないところが、ミソ。おそらく、言うだけ、思うだけ)
話は、変わるが、
ふっと力が抜けている人の、狂気に近いノリって、本人が思っている以上に、影響力があると思う。
(ズージャさん、ちょっとしばらくは、お休みされるらしいですが)
またまた、話は、変わって、(文脈、なし)
わたしは、自分をもっと大切にしようと思う。
今までは、けっこう、蔑ろにしてきた。
ヤケのやんぱち(=死語)っぽかったかも知れない。
好きなことはしてきたかも知れないが、人として、自分を誉めてあげることや、認めてあげること、
愛しむことをしてこなかったように思う。
自分の好きなことをすることと、自分を大切にすることは、少し違うような気がする。
わがままなことと、自分を好きになることは、ちょっと違う。
人生の残り時間が短くなってきたせいか?
ゴミに囲まれても(いや、本当のゴミは、捨てたとしても)、大切な時間を送りたい。
この強欲に振り回されて、幸せを棒に振っている感がある。
モノ、モノ、モノ、モノ・・・断捨離できないで、モノに囲まれている。
この、わたし以外の人物には、たんなるゴミ以外のなにものでもない、ゴミが、山とあるのに、
まだ性懲りもなく、ゴミ予備軍を買い込もうとする。
(あるいは、断ればいいものを、くれるというものは頂いてしまう)
人間は、愚かな生き物だということを、身をもって証明している。
しかしながら・・・
わたしは、人生の終盤戦を迎えようとしているにもかかわらず、(正確にいうと、人生の「後半」)
最近は、モノ以外のものにも、目覚めた。
グルメには、さほど、こころを動かされないが、今しかできないことを、今、しようとする。
たとえば、自分に対する投資。
若い人の「ケイコとマナブ」じゃあるまいし、なにを今さら、・・・・
今後、発表するわけでもないし、仕事で頂点に向かうわけでもないし、
具体的なカタチとしての目標があるわけでもないのに、
今、やっておかないと、今後、いつ、できなくなるかも知れないと、へんな焦燥感に駆られ、
自分への投資に励もうとしている。
これは、ご褒美のように、わぁうれしい、と、自分を喜ばせたり、楽しんだり、レジャーとかではない分野だ。
向上心。
だが、評価のない、ジャッジを下されない、自己満足の世界。
程度や力の差こそあれ、登山家やマラソンランナーの感覚の分野か?
それには、お金がかかるとすると、家族や、他人から見ると、ほんとうに、無駄使いである。
でも、健康を害したり、家庭などのいろんな事情で、ある日、とつぜん、できなくなることは、大いに考えられる。
一寸先は、闇。
なので、出来る間に、やっておこう、と、昨日、乗り換えホームで、電車を待ちながら、ふと考えた。
そして、自分のあの、ゴミの山も、どうにかしないといけない、と思った。
身辺整理、しようかな、と。
モノの整理は、こころの整理でもある。
いつ、自分は、どうなるかもわからない。
なので、今しかできないことをする、と、同時に、自分が居なくなった後のことを想像した。
連続ドラマの続きが、毎日、安心して見ることができる、そういう保証はない。
毎日、毎日、その日で、終わってしまうかも知れない。
今日で、見納め、仕納め、かも知れない。
だとすると、精一杯、やっておかないと。
と、思うと同時に、なにも考えないまま、
明日もドラマが放映されると信じて、そのまま、知らないうちに、人生を終えるのも、ある意味、幸せかも知れない。
しゃかりきになって、悲壮感漂わせて、頑張るのではなく、
自然体でいたいものだが・・・そうは、思い通り、カンタンにはいかない。
明日から写経でもしようかな・・・。
(今日からではないところが、ミソ。おそらく、言うだけ、思うだけ)
話は、変わるが、
ふっと力が抜けている人の、狂気に近いノリって、本人が思っている以上に、影響力があると思う。
(ズージャさん、ちょっとしばらくは、お休みされるらしいですが)
またまた、話は、変わって、(文脈、なし)
わたしは、自分をもっと大切にしようと思う。
今までは、けっこう、蔑ろにしてきた。
ヤケのやんぱち(=死語)っぽかったかも知れない。
好きなことはしてきたかも知れないが、人として、自分を誉めてあげることや、認めてあげること、
愛しむことをしてこなかったように思う。
自分の好きなことをすることと、自分を大切にすることは、少し違うような気がする。
わがままなことと、自分を好きになることは、ちょっと違う。
人生の残り時間が短くなってきたせいか?
ゴミに囲まれても(いや、本当のゴミは、捨てたとしても)、大切な時間を送りたい。
Posted by iooi at 16:01 | Comments(0) | 横断歩道がすぐそこに