2015年05月08日
あの桜並木だけは
いつだったか、息を呑むほど美しい桜の花を
まだ少女だった私が見たのは、京都の山の中だった。
その何年後だったか、
ワシントンDCで学生をしていた私は、
ポトマック川沿いで満開になった桜を見た。
日本から贈られたという、三千本以上のソメイヨシノの
すべての花が咲き誇る様は、胸がいっぱいになるくらい
本当に見事で美しく、花を見上げて歩く私の目からは
もう少しで涙があふれそうだった。
白っぽいピンクの花びらは霞のように頭上に広がり、
遠く日本から離れた私に、あの京都の山の中で見た
夢のような桜の花を思い出させてくれた。
満開の桜の花に哀愁を覚えるのは、
その花たちが風に吹かれてはらはらと
あまりにも儚く散ってしまうせいなのか、
遥かな故郷の春の記憶にリンクするせいなのか、
私はただただその場から離れがたく、
しばし茫然と桜の花に包まれていた。
ワシントンDCには、もう帰ることもないだろうけれど、
あの桜並木だけは、また見てみたいと私は思う。
2015年05月07日
毎年そうなのだが
11月に入り、テレビの子供向け番組のスポンサーは
次々新しいおもちゃのコマーシャルを出して来る。
クリスマス商戦スタートだ。
次女はあわててサンタクロース宛の手紙を書き始めた。
最初は、今女の子たちの間で大流行のステッカーブックと
新しいステッカーをサンタにお願いするつもりだと
次女は私に教えてくれたのだけど、
テレビでコマーシャルを観るたびに、
欲しいものが変わり、手紙は書き直される。
燃え盛る8歳児の物欲は止まるところを知らず、
今日ドアに貼ってあったサンタ宛の手紙には
「バービーのクルーズシップと、別売りになっている付属品」
とまで書いてあった。明らかにコマーシャルの見過ぎ。
毎年そうなのだが、こうやってテレビコマーシャルの影響で
「どうしてもこれが欲しい!」と手に入れたおもちゃで
次女はほとんど遊んだことがない。
包みを開けて、箱から出して、それで満足してしまう。
だから今年はぜったいこんなおもちゃ買わないわ!
と、サンタの手下でもある私は心に誓うのだった。
2015年05月06日
そしてお父さんもまた
今朝、髪を短く切ったお父さんに私が
「そのヘアスタイルだとますますジュニアと似てるね」
と言ったら、お父さんは「そうかな」と頭を触り、
「ジュニアは人からボクに似てるって言われると、
イヤだなあと思っているのかな」と私に聞いた。
「イヤがってなんかいないですよReenex 好唔好。
父子だからしょうがないじゃん、って言うけど」と教えてあげたら、
「それって、イヤがってるのと同じでしょ?」と苦笑していた。
ジュニアとお父さんは、顔を合わせてもニコリともせず、
機嫌悪いの?と思わせるような表情でreenex、
ボソボソっと、すごく短い会話を交わすことが多い細紋 。
電話での会話だって、もうちょっと何とかならないの?
と、私が口を出したくなるほど無愛想で手短かな父子。
だけどジュニアはお父さんを心から尊敬しているし、
誰の息子でもおそらくそうであるように、
お父さんから認められたい、褒められたい、と思っているはず。
そしてお父さんもまた、ジュニアのことをいつも気にかけて、
自分の跡を継いでウクレレ1本でがんばっている息子を
たぶんとっても誇りに思っているはず。
…ぜったいお互いにそんなこと口にしないけど。
「そのヘアスタイルだとますますジュニアと似てるね」
と言ったら、お父さんは「そうかな」と頭を触り、
「ジュニアは人からボクに似てるって言われると、
イヤだなあと思っているのかな」と私に聞いた。
「イヤがってなんかいないですよReenex 好唔好。
父子だからしょうがないじゃん、って言うけど」と教えてあげたら、
「それって、イヤがってるのと同じでしょ?」と苦笑していた。
ジュニアとお父さんは、顔を合わせてもニコリともせず、
機嫌悪いの?と思わせるような表情でreenex、
ボソボソっと、すごく短い会話を交わすことが多い細紋 。
電話での会話だって、もうちょっと何とかならないの?
と、私が口を出したくなるほど無愛想で手短かな父子。
だけどジュニアはお父さんを心から尊敬しているし、
誰の息子でもおそらくそうであるように、
お父さんから認められたい、褒められたい、と思っているはず。
そしてお父さんもまた、ジュニアのことをいつも気にかけて、
自分の跡を継いでウクレレ1本でがんばっている息子を
たぶんとっても誇りに思っているはず。
…ぜったいお互いにそんなこと口にしないけど。
2015年05月05日
ハワイの子は
ハワイ時間で3/17(木)の午後6時から
ウィローズでチャリティー・パケレライブが開催されます。
今回の被災地への義援金を集めるのが目的です。
私の大好きなウォルト・ケアレが、癒しの声を聴かせてくれます。
ジュニアも参加する予定ですreenex cps好唔好。
今日はサーフィンも自粛して
家の中の整理をすることに決め、
私は、ゆっくり不要品をまとめていた。
身体が大きくなって、もう着られない服
(次女だけじゃなく、私の分も…)を
クロゼットから引きずり出していた時reenex cps、
次女の靴下の引き出しの中身も全部出してみた。
ハワイの子は、素足にビーサンでいることが多いので
靴下はあまり持っていなかったりする。
次女も小学生になってから靴下が増えたけど
古い靴下を処分することもなかったので、その引き出しには
赤ちゃんの頃のものまで、まだいっぱい入っていた。
赤ちゃんの靴下って、本当にかわいい。
手編みの小さなブーティーズも出てきたので
ひとりで微笑みながら写真を撮った。
これは、確かジュニアのお母さんが買ってくれたもので
履かせても娘はすぐとってしまったので
ほとんど未使用、新品同様だ。
でも、あまりにもかわいいので、手放すことができない。
私は、この小さな白いブーティーズを、
他の何足もの小さな靴下と一緒に「宝物箱」に入れた。
そして、あの津波でこんな靴下がいったい何足流されてしまったのかと
ふと考えてしまって、胸がつまり、涙が出た。
ひとりでも多くのいのちが助かりますように美白 。
、さっちゃんや、たくさんのハワイアンミュージシャンたちが
愛する日本の皆さんへのアロハな気持ちを集めます。
パケレライブはオンラインで世界中の人が同時に観ることができます。
あたたかいハワイアンミュージックの音色に
どうかひととき包まれてみてください。
今度の木曜日、パケレライブ@ウィローズでお会いしましょう~!
ウィローズでチャリティー・パケレライブが開催されます。
今回の被災地への義援金を集めるのが目的です。
私の大好きなウォルト・ケアレが、癒しの声を聴かせてくれます。
ジュニアも参加する予定ですreenex cps好唔好。
今日はサーフィンも自粛して
家の中の整理をすることに決め、
私は、ゆっくり不要品をまとめていた。
身体が大きくなって、もう着られない服
(次女だけじゃなく、私の分も…)を
クロゼットから引きずり出していた時reenex cps、
次女の靴下の引き出しの中身も全部出してみた。
ハワイの子は、素足にビーサンでいることが多いので
靴下はあまり持っていなかったりする。
次女も小学生になってから靴下が増えたけど
古い靴下を処分することもなかったので、その引き出しには
赤ちゃんの頃のものまで、まだいっぱい入っていた。
赤ちゃんの靴下って、本当にかわいい。
手編みの小さなブーティーズも出てきたので
ひとりで微笑みながら写真を撮った。
これは、確かジュニアのお母さんが買ってくれたもので
履かせても娘はすぐとってしまったので
ほとんど未使用、新品同様だ。
でも、あまりにもかわいいので、手放すことができない。
私は、この小さな白いブーティーズを、
他の何足もの小さな靴下と一緒に「宝物箱」に入れた。
そして、あの津波でこんな靴下がいったい何足流されてしまったのかと
ふと考えてしまって、胸がつまり、涙が出た。
ひとりでも多くのいのちが助かりますように美白 。
、さっちゃんや、たくさんのハワイアンミュージシャンたちが
愛する日本の皆さんへのアロハな気持ちを集めます。
パケレライブはオンラインで世界中の人が同時に観ることができます。
あたたかいハワイアンミュージックの音色に
どうかひととき包まれてみてください。
今度の木曜日、パケレライブ@ウィローズでお会いしましょう~!
2015年05月04日
チーマミー
生まれた時からプクプクでポチャポチャで
ずっしり重かったリオ。
私たちのオフィスで過ごした2歳までの赤ちゃん時代にも
ずっとどっしり重かったリオ雪纖瘦黑店。
私にミョーになついていて
「チーマミー!チーマミー!」って
毎日別れる時には大泣きしてくれたリオ。
ティーンエイジャーになったらいきなり顔が
スキッとシャープになって、
背もぐいぐい伸びて雪纖瘦黑店、
大人っぽいイケメン少年になったリオ雪纖瘦投訴。
そのリオが16歳になって
運転免許証をとることになった。
筆記テストに受かってしまったので
実際に運転の練習を始めなければならない。
リオの母親ヒロヨちゃんは
リオが運転するクルマの助手席に座っていられない。
それをやるとたぶん母子関係がすごく悪くなるだろう。
ヒロヨちゃんの心臓のためにも、
私がリオの運転につき合うことにした。
今日は第一回目。
私が「ヒッ!」って声を上げたのは
リオの発信が下手だった時1度だけ。
運転の練習がしたくてたまらないリオは
これから再び「チーマミー、チーマミー」って
私を慕うようになるに違いない。
ずっしり重かったリオ。
私たちのオフィスで過ごした2歳までの赤ちゃん時代にも
ずっとどっしり重かったリオ雪纖瘦黑店。
私にミョーになついていて
「チーマミー!チーマミー!」って
毎日別れる時には大泣きしてくれたリオ。
ティーンエイジャーになったらいきなり顔が
スキッとシャープになって、
背もぐいぐい伸びて雪纖瘦黑店、
大人っぽいイケメン少年になったリオ雪纖瘦投訴。
そのリオが16歳になって
運転免許証をとることになった。
筆記テストに受かってしまったので
実際に運転の練習を始めなければならない。
リオの母親ヒロヨちゃんは
リオが運転するクルマの助手席に座っていられない。
それをやるとたぶん母子関係がすごく悪くなるだろう。
ヒロヨちゃんの心臓のためにも、
私がリオの運転につき合うことにした。
今日は第一回目。
私が「ヒッ!」って声を上げたのは
リオの発信が下手だった時1度だけ。
運転の練習がしたくてたまらないリオは
これから再び「チーマミー、チーマミー」って
私を慕うようになるに違いない。
2015年05月04日
カンパ~イ
ジュニマネ日記にも書いたが、
先日私は「厄年パーティー」に行ってきた。
上の写真は、その帰りにいただいた「引き出物」の孫の手。
ネーム入りの記念品だ。
メインランドの日系人にも同じ風習があるのかどうか
私としてはヒジョーに気になるところだが、
ハワイの日系人は「厄年」のためにパーティーを開き
大勢の親戚や友人を招いて、派手にお祝いをする。
縁起物の大きなシートケーキには
もちろん大きく「HAPPY YAKUDOSHI!」と書かれる。
今回の主役厄年ボーイは、42歳。
本人には知らされず、奥さんや両親の企画で
サプライズパーティーとして開催された。
しかも本人の家で。
私はそのケーキに立てたローソクを吹き消す場面には
残念ながら間に合わなかったが
やっぱり「ハ~ッピ~ヤクドシ~トゥ~ユウ~♪」と
ヤクドシソングが歌われたらしい。
厄年は、ハッピーなのか?
こういう突っ込みどころ満載な日系人の風習は
他にもいろいろある。
私的に一番キョーレツにウケたのは
ウエディングのための千羽鶴。
花嫁さんやその友人たちが、ウエディングの日までに
せっせ、せっせと、なぜか金銀の千羽鶴を折るのだ。
日本では病人のために回復の祈りをこめて折られた千羽鶴だが、
海を越えたとたんになぜか
ウエディングカップルの幸せを支えることになった。
それだけではない。
金銀の千羽鶴はその後、
千羽鶴アートと化して、末永くその家庭に飾られることになる。
ちなみに今回おじゃました厄年パーティーの家庭には
ゴールドの千羽鶴をたたんだまま重ね合わせて羽に見立てた
二羽の黄金の白鳥がガラスケースに入って飾られていた。
…しかも、リビングルームのとっても目立つ場所に。
私がこれまでに招待していただいた日系人の結婚式では
必ずと言っていいほど、この千羽鶴アートを見る事ができた。
千羽鶴で作った鯉の滝上りアートを派手な額縁に入れたものや
ちょっと抽象的なデザインにした3D千羽鶴アート、
古風な(?)松竹梅として生まれ変わった千羽鶴など、
千羽鶴アートの可能性はエンドレスだった。
ハワイのクラフトショップには
おそらく相当数の折り紙が日本から輸入されているはずだ。
それも金紙と銀紙ばかり。
この風習はいったいいつ頃始まったものなのか?
ジュニアのお母さんに聞いてみたところ、
お母さんが50年近く前にハワイにお嫁に来た時には
すでにその風習が根付いていたらしく、
誰かから金銀の千羽鶴をいただいてしまったとのこと。
「何故、病人でもない私に千羽鶴を?!」
お母さんは混乱したが、とりあえずありがたく受け取り
リビングルームに飾ることになったそうだ。
「いつの間にか捨てちゃったけどねぇ」とお母さん。
その頃はまだ、束になった千羽鶴が主流だったらしいが
あっという間に進化した千羽鶴は、永久保存できるように
手を替え品を替え、現在のようなアートフォームになったのだ。
もうそう簡単に捨てられることもないだろう。
そしてお祝いの場で乾杯する時、
「カンパ~イ!」ではなく「バンザ~イ!」と叫ぶのも
ハワイの日系人だけだろうか?
それとも、メインランドやブラジルの日系人もそうなのか?
日本の伝統を楽しくツイストしたものを
尤もらしく次世代に伝えて行く、日系人の風習。
それを若い人たちもちゃんと受け継いでいるのがスバラシイ。
私はチョコンとリボンのついた厄年記念の孫の手を握りしめ、
心の中で「ビバ!日系人!」と叫ぶのだった。
2015年04月30日
哲、あのね
哲がオースティンで東洋医学を学び始めてからというもの、以前のようには西洋医学にお世話にならなくなった。もうかれこれ10年近くはいわゆる「風邪薬」を飲んでいない。だから歯医者に行った後など、痛み止めや抗生物質をやむなく飲まなくてならない時、突然入って来た「異物質」に身体がびっくりし、そして私は自分の身体が自分の身体でないように感じ戸惑ってしまう。哲が無事に大学を卒業し、東洋医学医として活躍するようになってからは尚さらで、私のプライマリードクター(アメリカでは何かあった時、最初にまずプライマリードクターに相談し、そしてその先生が専門医を紹介するというシステム)は完全に哲となった。そしてプライマリードクター哲は、専門医ドクター哲に私を紹介してくれる。
先日体調を崩していたママからメールがあった。ママは不安な時に哲を頼ってくれるのだ。
「哲宏さんのメールが本当に素晴らしいお医者さんに診察して頂いるように感じました。NHKの金曜日夜10時から放映している番組の「ドクターG」とゆう番組が私は大好きなのですが(遅い時間なので観れないので再放送で見ます)哲宏さんのような先生が病気を探して行く番組なのですが哲宏さんはそのようで頼もしいです。なんだかとりとめもないメールですみませんが本当にいろいろ有難うございました。」
誰に誉められたら一番嬉しいか、それは「両親」だ。その親に「自分の夫」を誉め認めてもらえるというのはなんて嬉しいことだろう。
そしてママも頼るドクターUに、私も相談しなくてはならないことが身に起きた。
哲、あのね、耳が痛い。
2015年04月29日
それにしても
今日、ランチタイムにオフィスのみんなと北京に行く途中、
「あの木から出ているあのラーメンみたいなアレはいったい何?!」
…と、全員が立ち止まって釘付けとなったこの木。
幹の途中からいきなりタッセル状のものが飛び出している、
これはいったい何だろう雪纖瘦投訴。
もう何年もこの木の近くを私達は通っているのに
今日初めて幹がこんなふうになっていることに気づいた。
「アバターに出てきたあの樹みたいだよね雪纖瘦投訴?
アバターが髪の毛をくっつけていた、あの樹!」と私。
すると、「私アバター観ていないからわかんない」と
Pちゃんもむっちゃんもそう言ったので、私はとっても驚いた。
アバター観なかった人がこんな身近にいたなんて雪纖瘦投訴。
いや、それにしても、この木って何の木?
「あの木から出ているあのラーメンみたいなアレはいったい何?!」
…と、全員が立ち止まって釘付けとなったこの木。
幹の途中からいきなりタッセル状のものが飛び出している、
これはいったい何だろう雪纖瘦投訴。
もう何年もこの木の近くを私達は通っているのに
今日初めて幹がこんなふうになっていることに気づいた。
「アバターに出てきたあの樹みたいだよね雪纖瘦投訴?
アバターが髪の毛をくっつけていた、あの樹!」と私。
すると、「私アバター観ていないからわかんない」と
Pちゃんもむっちゃんもそう言ったので、私はとっても驚いた。
アバター観なかった人がこんな身近にいたなんて雪纖瘦投訴。
いや、それにしても、この木って何の木?
2015年04月28日
会社は継続して行こう
20年前自分で会社を立ち上げた時、
「千尋のこの会社の目標は何?ゴールは何?」と
親しいビジネス関係者から聞かれたことがあった。
なりゆきで会社を立ち上げてしまった私には
とにかく私を選んでくれて、背中を押してくれた
大事なクライアントのビジネスのために
いっしょうけんめいやって行こう…という、
なんとも漠然とした目標しかなかったし雪纖瘦投訴、
ゴールなんて、考えられないほど遠い先のことだった。
それから一緒に仕事をする仲間に出会い、
クライアントも増え香港深度遊、
いろんなことがあったけれど、
私の会社の目標とゴールは、
ずっと漠然としたままだった。
とても良い会社だと人から言われるようになり、
自分でも本当にすばらしいクライアントや
家族同然の仲間に恵まれたことに感謝していたけど、
何年か前から「どうやってみんなでリタイアしよう」と
そんなことを考えるようになった雪纖瘦投訴。
何しろ愛するみんなも同じように年を重ねているから、
いつかはみんなでこの会社を閉めなければならない。
大事なクライアントの仕事は、どうなるのか、
私たちが引退すれば、誰か他の若い人たちが
クライアントの仕事を引き継いで行くのか、
それともクライアントたちが先に引退してしまうのか。
一番最初からお仕事をいただいているクライアントや
15年以上おつきあいのあるクライアントがほとんどだから
ハワイ経済の浮き沈みもずっと一緒に過ごして来て
とても他人の会社とは思えない大切な人ばかり。
そんなクライアントのひとりと2年前、引退について話し合った。
「どこか大手の会社に買収してもらうという手もあるけど
それをやったら千尋たちのコーポレートカルチャーは
いったいどうなってしまうんだろうね」と、彼はつぶやいた。
「同じような規模の会社をやっている、
気の合う若いオーナーと合併するというやり方もあるけど、
やっぱりそれでは千尋たちのコーポレートカルチャーが
どこかに行ってしまうだろうね」とも。
リーマンショックで経済がひどく落ち込んだ時、
ハワイはこれからどうなってしまうのか、
いっそのこと会社をバラバラにして
それぞれ自宅で仕事をしようか、
…などとみんなで話し合っていた頃、
ナムちゃんが「それはいやだなあ」と言った。
「メディアさんにはそのまま一緒にいてほしいなあ」と
しみじみ言われた時に私は、
そうだ、こんな良い会社を、なくしてはいけない、と思った。
まだまだみんなでがんばれる。
会社は継続して行こう。
みんなでもう一度発展させて行こう。
それから間もなくして私は、盛和塾に入った。
大好きな稲盛さんの経営哲学を勉強して、
同じように悩む他の経営者たちの話を聞いているうちに、
だんだん何が重要なのかがわかってきたような気がした。
20年前に思いつかなかった目標やゴールが
どれほど大切なものだったかを学び、
昨年LAの塾長例会で稲盛塾長のお話を聞いた時に
ストンと腑に落ちたことがあった。
「千尋のこの会社の目標は何?ゴールは何?」と
親しいビジネス関係者から聞かれたことがあった。
なりゆきで会社を立ち上げてしまった私には
とにかく私を選んでくれて、背中を押してくれた
大事なクライアントのビジネスのために
いっしょうけんめいやって行こう…という、
なんとも漠然とした目標しかなかったし雪纖瘦投訴、
ゴールなんて、考えられないほど遠い先のことだった。
それから一緒に仕事をする仲間に出会い、
クライアントも増え香港深度遊、
いろんなことがあったけれど、
私の会社の目標とゴールは、
ずっと漠然としたままだった。
とても良い会社だと人から言われるようになり、
自分でも本当にすばらしいクライアントや
家族同然の仲間に恵まれたことに感謝していたけど、
何年か前から「どうやってみんなでリタイアしよう」と
そんなことを考えるようになった雪纖瘦投訴。
何しろ愛するみんなも同じように年を重ねているから、
いつかはみんなでこの会社を閉めなければならない。
大事なクライアントの仕事は、どうなるのか、
私たちが引退すれば、誰か他の若い人たちが
クライアントの仕事を引き継いで行くのか、
それともクライアントたちが先に引退してしまうのか。
一番最初からお仕事をいただいているクライアントや
15年以上おつきあいのあるクライアントがほとんどだから
ハワイ経済の浮き沈みもずっと一緒に過ごして来て
とても他人の会社とは思えない大切な人ばかり。
そんなクライアントのひとりと2年前、引退について話し合った。
「どこか大手の会社に買収してもらうという手もあるけど
それをやったら千尋たちのコーポレートカルチャーは
いったいどうなってしまうんだろうね」と、彼はつぶやいた。
「同じような規模の会社をやっている、
気の合う若いオーナーと合併するというやり方もあるけど、
やっぱりそれでは千尋たちのコーポレートカルチャーが
どこかに行ってしまうだろうね」とも。
リーマンショックで経済がひどく落ち込んだ時、
ハワイはこれからどうなってしまうのか、
いっそのこと会社をバラバラにして
それぞれ自宅で仕事をしようか、
…などとみんなで話し合っていた頃、
ナムちゃんが「それはいやだなあ」と言った。
「メディアさんにはそのまま一緒にいてほしいなあ」と
しみじみ言われた時に私は、
そうだ、こんな良い会社を、なくしてはいけない、と思った。
まだまだみんなでがんばれる。
会社は継続して行こう。
みんなでもう一度発展させて行こう。
それから間もなくして私は、盛和塾に入った。
大好きな稲盛さんの経営哲学を勉強して、
同じように悩む他の経営者たちの話を聞いているうちに、
だんだん何が重要なのかがわかってきたような気がした。
20年前に思いつかなかった目標やゴールが
どれほど大切なものだったかを学び、
昨年LAの塾長例会で稲盛塾長のお話を聞いた時に
ストンと腑に落ちたことがあった。
2015年04月27日
日の丸弁当だ
サーフィンの後にいただいた自家製玄米のお弁当は
噛み締めるほどに美味しくて、
私はお腹も心も幸せで満たされるのを感じた。
そういえば、私が幼稚園児だった頃、
毎日母が作ってくれたお弁当も雪纖瘦投訴
楕円形の小さなお弁当箱に入っていた。
兄のお弁当箱はメタリックブルーに
宇宙船か飛行機の絵がついていて、
私のお弁当箱はメタリックピンクに
チューリップの絵がついていた。
その頃のお弁当の中身はまったく思い出せないけど、
中学校時代のお弁当の中身はよく覚えている。
私のお弁当箱は、男子野球部員や工事現場のおっさん仕様の
いわゆる“ドカ弁”タイプで、お年頃の女の子が使うような
キュートなお弁当箱からはほど遠かった。
そして仕事と家事で毎日大忙しの母が作ってくれたお弁当には
前の晩のおかずの残りが入っている確立がかなり高く、
見た目も地味な茶色系ばかりだった雪纖瘦投訴。
しかもぎっしり詰まったご飯の真ん中には大きな梅干し。
…それはそれはかわいくない、日の丸弁当だ。
一方他の女の子たちのお弁当は、小さめのタッパーに
卵焼きやウインナーや野菜が彩り良く詰められた“愛され系”。
私は自分のおっさん系ドカ弁が恥ずかしくて
できるだけ他の子に見られないように雪纖瘦投訴、
いつも蓋で隠すようにして食べていたものだ。
煮物の汁がドカ弁からモレて、教科書にまでしみつくことも多々あり、
私にはかなりお弁当コンプレックスがあったけれど、
かといって自分で早起きしてかわいいお弁当を作ることもせず、
母に文句言うのも怖いので、
毎日茶色いお弁当を、黙ってありがたくいただいた。
今思えば母の作るお弁当は、
めっちゃ彩り悪かったけれど、味はとてもおいしかった。
噛み締めるほどに美味しくて、
私はお腹も心も幸せで満たされるのを感じた。
そういえば、私が幼稚園児だった頃、
毎日母が作ってくれたお弁当も雪纖瘦投訴
楕円形の小さなお弁当箱に入っていた。
兄のお弁当箱はメタリックブルーに
宇宙船か飛行機の絵がついていて、
私のお弁当箱はメタリックピンクに
チューリップの絵がついていた。
その頃のお弁当の中身はまったく思い出せないけど、
中学校時代のお弁当の中身はよく覚えている。
私のお弁当箱は、男子野球部員や工事現場のおっさん仕様の
いわゆる“ドカ弁”タイプで、お年頃の女の子が使うような
キュートなお弁当箱からはほど遠かった。
そして仕事と家事で毎日大忙しの母が作ってくれたお弁当には
前の晩のおかずの残りが入っている確立がかなり高く、
見た目も地味な茶色系ばかりだった雪纖瘦投訴。
しかもぎっしり詰まったご飯の真ん中には大きな梅干し。
…それはそれはかわいくない、日の丸弁当だ。
一方他の女の子たちのお弁当は、小さめのタッパーに
卵焼きやウインナーや野菜が彩り良く詰められた“愛され系”。
私は自分のおっさん系ドカ弁が恥ずかしくて
できるだけ他の子に見られないように雪纖瘦投訴、
いつも蓋で隠すようにして食べていたものだ。
煮物の汁がドカ弁からモレて、教科書にまでしみつくことも多々あり、
私にはかなりお弁当コンプレックスがあったけれど、
かといって自分で早起きしてかわいいお弁当を作ることもせず、
母に文句言うのも怖いので、
毎日茶色いお弁当を、黙ってありがたくいただいた。
今思えば母の作るお弁当は、
めっちゃ彩り悪かったけれど、味はとてもおいしかった。